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海外から日本・伝説的なバレエダンサーまで!バレエダンサーを知ろう!!

バレエを習っているとプロのバレリーナの踊りを観たいと思うことも多くありますよね。

海外のバレエ学校やバレエ団を目指している方は海外のバレエダンサーがどのような踊りをするのか知りたいですよね。

今回は、バレエダンサーについて海外で活躍している方や日本で活躍中の方、過去に伝説的な活躍をされた方々を紹介していきます!!

国内外の有名なバレエダンサーについて知りたい方は参考にしてみてくださいね!

一度は観てみたい!海外バレエ団の外国人バレエダンサーたち

海外のバレエ学校やバレエ団に憧れている方の中には、本場の踊りを観てみたいという方も多いですよね。

海外バレエ団で活躍中の外国人バレエダンサーを紹介します。

日本に来日した経験のある方々なので、再度日本で踊りを観られる可能性も高そうです!

外国人女性バレエダンサー

日本で踊りを観られる機会は貴重!

機会があればぜひ、観てほしい外国人女性バレエダンサーを紹介します。

マリア・ホーレワ〜マリインスキーバレエ団

ワガノワバレエアカデミー入学前は新体操、ピアノ、アートを学んでいたというマリア・ホーレワ。

ワガノワバレエアカデミー在学中にはディアナ・ヴィシニョーワやオルガ・スミルノワなど、多くの才能を生み出したリュドミラ・コワリョーワに師事し、最終学年時にはすでに実力も認められ、くるみ割り人形のマーシャ役や国内外の多くの公演で主役を演じていました。

卒業後はマリインスキーバレエ団に入団し、2018年夏にはジョージ・バランシンの「アポロ」でテルプシコーラ役としてデビュー。

マイリンスキー劇場プリンシパルであるザンダー・パリッシュとタイトルロールを務め、2018年にファーストソリストに昇格しました。

インスタグラムのフォロワーは61万人を超える人気ぶりで、モデル・女優としても活動しています。

インスタグラム公式アカウント

https://www.instagram.com/marachok/

サラ・ラム〜英国ロイヤルバレエ団〜

サラ・ラムはアメリカ合衆国出身で、現在はイギリスのロイヤル・バレエ団でプリンシパルを務めています。

幼少期にタップダンスをはじめ、4歳から6歳の時期はモダンダンスに取り組んでいました。

その後、ボストン・バレエスクールで学び、ボストン・バレエ第100回記念公演にあたって『くるみ割り人形』でクララ役に抜擢されました。

13歳でボストン・バレエ・スクールのタチアナ・レガートに師事し、4年間指導を受けた後にボストン・バレエのセカンド・カンパニーに入団。

ボストン・バレエ団のプリンシパルの地位にまでのぼりつめましたが、2004年にはレパートリーが素晴らしいこと、芸術監督のモニカ・メイスンを尊敬していたこと、ダンサーたちを尊敬していたことを理由にロイヤルバレエ団へ移籍。

妖精のような透明感のある美しさと確かなテクニックで全世界を魅了するサラ・ラム。

その踊りを一度は実際に観てみたいですね。

ドロテ・ジルベール〜パリ・オペラ座〜

ドロテ・ジルベール は、フランス・トゥールーズ出身で、2007年以来、パリ・オペラ座のエトワールをつとめています。

7歳でバレエを始め、地元のコンセルヴァトワールで学んだ後、1995年にオペラ座付属バレエ学校に入学しました。

入学2年目には発表会で重要な役を踊るようになり、翌年の発表会では『火の鳥』のタイトルロールを演じました。

2000年には17歳でオペラ座のコール・ド・バレエとなり、2002年にはコリフェに昇進し、在任中『ドン・キホーテ』でソリストが配役されるブライズメイド(花嫁付添人)の役を演じました。

2004年にはスジェ(ソリスト)に昇進し、早くもキトリの大役に抜擢。

​​2007年11月19日『くるみ割り人形』の公演終了後に24歳にしてエトワールに任命されました。

以後はパリ・オペラ座の新時代を代表するエトワールとして世界で活躍。

日本にも度々、来日しその素晴らしい踊りを披露しています。

インスタグラム公式アカウント

https://www.instagram.com/dorotheegilbert/

外国人男性バレエダンサー

日本では数が少ない男性ダンサーですが、海外では数々の男性ダンサーが活躍中です。

どのような活動を経て、プロのバレエダンサーになったのかも気になりますね。

海外のバレエ団の男性ダンサーを紹介します。

リース・クラーク〜ロイヤル・バレエ団〜

リース・クラークはスコットランド出身で3歳からバレエを始めました。

彼は4人兄弟の末っ子で、11歳の時にロイヤル・バレエスクールに入学しましたが、他の兄弟3人も同じ学校へ通っていました。

当時、ロイヤル・スクールでは同じ家族の男子生徒が4人も同時に通うことは初めてのことでした。

高校2年生の頃にはロイヤル・バレエ団の作品に出演する機会も多く、2012年にはヤング・ブリティッシュ・ダンサー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、翌年にはリン・シーモア賞を受賞しました。

高校を卒業する前の若いうちにロイヤル・バレエ団からオファーを受け入団。

その後、2022年にプリンシパルに昇格しロイヤルの新世代を担う、正統派の男性バレエダンサーとして活躍しています。

長身を生かしたダイナミックな動きと、しなやかで優美なライン 、エレガントな存在感をあわせ持ち、客席を魅了しています。

同じロイヤル・バレエ団の日本人ダンサー金子扶生さんと日本でバレエクラスのワークショップを開催するなど、日本で見られる機会も多いです。

ジェルマン・ルーヴェ〜パリ・オペラ座バレエ団

フランス出身のジェルマン・ルーヴェは4歳の頃からダンス教室に通い始め、7歳の頃にクラシックバレエを習い始めました。

2005年にパリ・オペラ座バレエ学校へ入学し、その後2011年にパリ・オペラ座バレエ団に入団しました。

2016年12月には「白鳥の湖」でエトワールに任命され、以降は古典バレエの美しい王子がハマリ役となりました。

パリ・オペラ座の日本人女性ダンサーオニール八菜さんと組むこともあり、彼女は「美しいダンサーで、太陽のような魅力がある。

洗練された踊りで、動作の一つひとつに時を止めるかのような威厳があります」と語っています。

オペラ座の貴公子と呼ばれることもあるジェルマン・ルーヴェはバレエのみならず、近年ではファンションの世界でも活躍しています。

ワディム・ムンタギロフ〜ロイヤル・バレエ団〜

ワディム・ムンタギロフはロシア出身で両親と姉もバレエダンサーです。

9歳の時には両親と姉も通ったペルミ・バレエ学校に入学し、6年間バレエ教育を受けました。

2006年にはローザンヌ国際バレエコンクールでスカラシップを授与され、ワディム・ムンタギロフは当時、英語が話せませんでしたがロイヤル・バレエ学校で学ぶことを選択。

2009年にロイヤルバレエ学校を卒業後はファースト・アーティストとしてイングリッシュ・ナショナル・バレエ団に入団しました。

入団したシーズンには『ジゼル』のアルブレヒト役や『シンデレラ』の王子役を演じています。

2010年にはファースト・ソリストに昇進し、『白鳥の湖』のジークフリート役を踊りました。

2011年にはプリンシパルに、2012年にはリード・プリンシパルに昇進を果たしました。

その後は『海賊』のコンラッド役や『レ・シルフィード』の詩人役、『ミューズを率いるアポロ』ではタイトル・ロールを演じ、2013年には眠れる森の美女』の王子役でブノワ賞を受賞。

2014年1月にロイヤル・バレエ団にプリンシパルとして入団することを発表。

ロイヤル・バレエ団でのデビュー公演では、日本人バレエダンサーの高田茜さんをオーロラ姫として『眠れる森の美女』の王子役を演じました。

現在は新国立劇場バレエ団の常任ゲスト・アーティストや、パリ・オペラ座バレエマリインスキー・バレエアメリカン・バレエ・シアターにも客演し世界中で活躍しています。

しなやかな長身にブレのないテクニック、エレガントな存在感で王子そのものといった個性を持つスターダンサーなので来日の際は一度は見てみたいダンサーです。

憧れる人多数!海外で活躍中の日本人バレエダンサーたち

海外で活躍する日本人ダンサーも年々増えており、日本のバレエのレベルの高さが証明されています!

日本人として誇らしい気持ちになりますね!

海外のバレエ団を目指す方々にとっても励みになる存在でしょう。

海外で活躍中の日本人バレエダンサーについて紹介します。

日本人女性バレエダンサー

日本のバレエも世界で通用するということを証明している日本人バレエダンサーの方々!

日本で踊ることもあり、その貴重な機会にぜひ観てみたい日本人バレエダンサーの皆さんを紹介します。

永久メイ〜マリインスキー・バレエ団〜

永久 メイさんは兵庫県宝塚市出身で3歳の時にバレエを始めました。

ユース・アメリカ・グランプリのジュニア部門で1位受賞し、2013年にモナコ王立プリンセス・グレース・アカデミーに入学。

卒業と同時に研修生としてロシアのサンクトペテルブルクにあるマリインスキー・バレエに入団しました。

2018年にはセカンド・ソリスト、2021年にファースト・ソリストに昇格しています。

2023年に「眠れる森の美女」で主役デビューを果たし、ブノワ賞にノミネートされました。

古典作品を踊るのにふさわしい優美なラインでマリインスキーでも注目を浴びています。

まだ、24歳ということで、これからの活躍にも注目です。

平田桃子〜バーミンガム・ロイヤル・バレエ団〜

平田桃子さんは群馬県出身で5歳からバレエを始めました。

2001年にはローザンヌ国際バレエコンクールでエスポワール賞を受賞し、スカラシップを獲得。

その後、16歳でロイヤル・バレエ学校に入学し、2003年に首席で卒業!

バレエ学校を卒業後はバーミンガム・ロイヤル・バレエ団に入団しました。

2005年にはファーストアーティスト、2008年にソリスト、2010年にファーストソリストに昇格。

 2011年、スペインのコレーラバレエ団へ移籍しましたが、 2012年にバーミンガム・ロイヤル・バレエ団に戻ります。

移籍後はプリンシパルに昇格し、 バーミンガム・ロイヤル・バレエ団の日本公演で2015年に『シンデレラ』、2018年に『白鳥の湖』の主役を務めました。

最近では谷桃子バレエ団の「白鳥の湖」に主役としてゲスト出演しました。

その舞台を密着した谷桃子バレエ団のYou Tubeではストイックな姿勢と高度なテクニックを披露し注目を浴びました。

オニール八菜〜パリ・オペラ座バレエ団

オニール八菜さんは東京都出身で3歳からバレエを始めました。

お父さんはニュージーランドのラグビー選手で、お母さんは日本人です。

8歳の時、お父さんの引退を機にニュージーランドへ移住し、バマウント・エデン・バレエ・アカデミーに入学しバレエを続けました。

その後、オーストラリア・バレエ学校在学中の2009年にはローザンヌ国際バレエコンクールで1位となりスカラシップを獲得。

オーストラリア・バレエ学校を首席で卒業後に幼い頃から憧れていたパリ・オペラ座のオーディションに参加しました。

結果はパリ・オペラ座バレエ学校を卒業していないということもあり4位となりましたが、シーズン契約の連絡を受け入団となりました。

その後、2013年には正式な団員となり、2015年には「白鳥の湖」で主役デビューを果たしました。

パリ・オペラ座以外でマリインスキー劇場(ロシア)でも客演することもあり世界的に活躍。

近年まではパリ・オペラ座バレエ学校卒業生以外のエトワールに任命されるのは困難でしたが、2023年にエトワールに任命されました。

夢を叶えたオニール八菜さんのエトワールとしての活躍にも注目ですね!

日本人男性バレエダンサー

海外で活躍する日本人ダンサーの中には男性ダンサーも多数!!

男女ともに日本のバレエのレベルは高いんですね。

海外で活躍中の男性ダンサーを紹介します。

平野亮一〜ロイヤル・バレエ団〜

平野亮一さんは兵庫県出身でお母さんが主催するバレエ教室にて4歳からバレエを始めました。

お母さんも元バレエダンサーで、お兄さんもカナダ国立バレエ団のファースト・ソリスト。

そのため、お兄さんとは長年良きライバルであり、友人であり背中を追い続けてきた存在だと語っています。

2001年にローザンヌ国際バレエコンクールで入賞したことを機に翌2002年に英国ロイヤル・バレエ団へ入団しました。

2016年にはダンサーの最高位であるプリンシパルに昇格し、同バレエ団において、熊川哲也さんに続く史上2人目の日本人男性プリンシパルとなりました。

プリンシパルへの任命は20代までに行われるのが一般的だったので、平野亮一さんが32歳プリンシパルへ任命されたのは前例がないことでした。

また、同時に、同じく日本人ダンサーである高田茜さんもプリンシパルに任命され、ロイヤル・バレエ団で日本人がプリンシパルとなるのは、1990年代に熊川哲也吉田都が任命されて以来、約20年ぶりのことでした。

木本全優〜ウィーン国立バレエ団〜

木本全優(きもと まさゆう)さんは兵庫県出身で3歳からバレエを始めました。

2003年にカンヌのロゼラ・ハイタワー・バレエスクールに留学後、2004年にはパリ・コンセルヴァトワールに編入しました。

2005年にローザンヌ国際バレエコンクールの決勝進出し、2006年には(平成18年)パリ国立音楽院を卒業。

卒業後はドイツ・ドレスデン歌劇場バレエ団へ入団しましたが、2008年にウィーン国立バレエ団へ移籍しました。

2011年にデミ・ソリストに昇格し、2013年にはウィーン国立バレエ団のソリストに。

プライベートではロゼラ・ハイタワー・バレエスクール時代に出会った日本人ダンサーの橋下清香さんと2012年に結婚されています。

奥様の橋下清香さんもウィーン国立バレエ団のソリストで、日本人でソリストに任命されるのは初めてという快挙を遂げました。

日本や世界中で、現在もご夫婦で活躍されています。

日本で観れる!日本で活躍中のダンサーたち

日本でも一年を通してレベルの高いバレエの公演が行われています。

海外と同様に本格的なバレエの舞台を日本で見られるのは嬉しいですね。

日本で今、注目のバレエダンサーを紹介します。

日本人女性バレエダンサー

海外にも素敵なダンサーはたくさんいますが、日本でも活躍している方がたくさんいらっしゃいます。

今回は日本で活躍中の女性ダンサー、飯島望未さんと小野絢子さんについて紹介します。

飯島望未〜K-BALLET TOKYO〜

飯島望未さんは大阪府出身で6歳からバレエを始めました。

2007年にヒューストン・バレエの研修生となり、2008年には当時最年少でアーティストとしてヒューストン・バレエへの入団を果たします。

そして、2019年にはプリンシパルへと昇格しました。

同年、7月に行われた熊川哲也総合監修 Bunkamura 30周年記念「オーチャードバレエガラ〜JAPANESE DANCERS〜」に出演し、2021年5月には熊川版『ドン・キホーテ』にゲストとして主演。

2015年8月にはKバレエ カンパニーにプリンシパル・ソリストとして入団し、22年3月プリンシパルに昇格しています。

Kバレエ カンパニーのプリンシパルとして『くるみ割り人形』でマリー姫や『ロミオとジュリエット』ジュリエット、『白鳥の湖』オデット/オディールなど数多くの主役を踊っています。

ドキュメンタリー番組「セブンルール」に出演やシャネルのモデルを務めるなど多方面でも活躍しています。

小野絢子〜新国立バレエ劇場バレエ団

小野絢子さんは東京都出身で4歳の時にバレエを始めました。

小学生の頃は、日本舞踊も同時に習っていましたが中学生になると両立が難しくバレエに専念することに。

高校生3年生の時にはフランスのマルセイユに短期留学をし、2004年にはアデリン・ジェニー国際バレエコンクールで金賞を受賞しました。

高校卒業後には出身の小林紀子バレエシアターの養成員となり、2005年から2年間は新国立劇場バレエ研究所で学びました。

研修終了後は新国立劇場バレエ団のオーディションに合格し、2007年にソリストとして入団。

2008年にワシントン公演「ライモンダ」でソロデビューし、同年の11月には新国立劇場バレエ団オリジナル作品の「アラジン」で主役デビューを果たしました。

2011年にプリンシパルに昇格し、安定感のある踊りを披露しています。

日本人男性バレエダンサー

男性でバレエをしている方は少ないように思いますが、日本の男性ダンサーのレベルは非常に高く人気もあります。

そんな、現在日本で活躍している日本人ダンサーを紹介します。

山本 雅也〜K-BALLET TOKYO〜

山本雅也さんは石川県出身で4歳からバレエを始めました。

2010年にオーストラリアン・バレエ・スクールに留学し、2013年にはローザンヌ国際バレエ・コンクールで第3位となり、ロイヤル・バレエの研修生となりました。

2014年にKバレエカンパニーに入団し、2016年にソリスト、2017年にはファースト・ソリスト、2018年にプリンシパル・ソリスト、2020年プリンシパルに昇格を果たしました。

Kバレエカンパニーではプリンシパルとして『白鳥の湖』のジークフリード、『ドン・キホーテ』のバジル、『ロミオとジュリエット』のロミオなど数多くの主役を演じきっています。
前述の飯島望未さんとパートナーを組むことも多く、Kバレエカンパニーの中でも人気のダンサーとなっています。

井澤 駿〜新国立劇場バレエ団〜

井澤 駿さんは群馬県出身で4歳からバレエを始めました。

2009年にジャパングランプリ2009でジュニア男性の部第2位となり、リスボン(ポルトガル)にあるバレエ学校に短期留学をしました。

日本国外からのオファーを受けていたものの東京の大学へ進学。

大学在学中にはバレエスタジオDUOに所属しレッスンを続けました。

そして、2014年に新国立劇場バレエ団のオーディションを受け、同年秋にはソリストとして入団を果たしました。

新国立劇場バレエ団での初舞台は、2014年末の公演『シンデレラ』の王子役を演じ異例の主役デビューとなりました。

その後は、「くるみ割り人形」や、「ドン・キホーテ」で主役を演じ、「アラジン」でスキンヘッドで全身青塗りの精霊ジーン役を踊るなど注目を集めました。

2016年には同バレエ団のファースト・ソリスト、2017年にはプリンシパルに昇格を果たしています。

伝説級の踊り!過去に活躍したダンサーたち

現在はダンサーとして引退しているものの過去に輝かしい功績を残し、活躍した伝説のバレエダンサーたち。

中には現在も現役のダンサーもいます!

バレエをしていたら知るべき伝説のバレエダンサーを紹介します。

日本人バレエダンサー

かつて前人未到であった海外のバレエ団への挑戦を果たし、海外で活躍した日本人バレエダンサーがいました。

現在活躍中のバレエダンサーたちが目指したであろう伝説の日本人ダンサーを紹介します!

吉田都

吉田都さんは東京都出身で1988年から2010年まで22年間にわたって英国の2つのバレエ団、バーミンガム・ロイヤル・バレエ団 とロイヤル・バレエ団でプリンシパルを務めました。

9歳でバレエを習い始め、16歳の時に全国舞踊コンクール・ジュニア部門で第1位となり、その後は松山バレエ学校に移籍しました。

松山バレエ学校に在籍中の2年間にはコール・ド・バレエとして松山バレエ団の公演にも出演しています。

18歳の時にローザンヌ国際バレエコンクールでスカラシップ賞を受賞し、英国ロイヤル・バレエ学校に入学。

卒業後はバーミンガム・ロイヤル・バレエ団 に入団し、4年後の1988年には最高位プリンシパルに昇格を果たしました。

その後、姉妹カンパニーであるロイヤル・バレエ団に正式に移籍。

イギリスで『眠れる森の美女』、『白鳥の湖』、『くるみ割り人形』、『ジゼル』、『ドン・キホーテ』 といった代表的な古典の主役のほか、アシュトン振付 『シンデレラ』、ニネット・ド・ヴァロア振付『コッペリア』、マクミラン振付『ロミオとジュリエット』などの少女役・妖精役を得意とし活躍されました。

2009年11月にロイヤル・バレエ団からの引退公演が発表され、その後は日本を拠点にフリーランスとして活動していましたが、2020年9月1日より新国立劇場の舞踊芸術監督に就任し、現在も新国立劇場バレエ団を率いています。

熊川哲也

バレエをしていない人でも知っているほど有名な男性バレエダンサーの熊川哲也さん。

出身は北海道の旭川市の出身で、10歳でバレエを始めました。

16歳の時には若手ダンサーの登竜門であるローザンヌ国際バレエ・コンクールで『ドン・キホーテ』のバジルのヴァリエーションを踊り、日本人で初の金賞を受賞。

その後、1989年に東洋人として初めて英国ロイヤルバレエ団に入団しました。

バレエ団に入団した当時は他のダンサーたちの手前、一番下のアーティストとしての契約でしたが、初舞台を踏んだ後、わずか2週間後にはソロを踊りました。

19歳で英国ロイヤル・バレエ団史上最年少でファースト・ソリストとなり、その2年後には最高位のプリンシパルに昇格。

入団して4年2カ月の異例のスピードでの昇格で、日本人としても異例の快挙となりました。

現在は自身が立ち上げたK-BALLET TOKYOの芸術監督をつとめ、数多くのオリジナル作品を手がけるなど話題となっています。

森下洋子

森下洋子さんは日本で初めて国際的に活躍したプリマと評されました。

広島県出身で、3歳からバレエを始めました。

小学校6年生の時にバレエを本格的に習う為に東京に上京。

1969年にはアメリカ留学も経験し、海外のバレエ団からもオファーがありましたが帰国し、松山バレエ団に所属しています。

1974年に第12回ヴァルナ国際バレエコンクールに出場し、日本人初の金賞を受賞しました。

その後も、1977年のエリザベス戴冠25周年記念公演や、1981年にはパリ・オペラ座で日本人として初めて出演するなど様々な快挙を達成。

また、舞台芸術に携わる者にとって世界的に最も栄誉ある賞の一つ・英国ローレンス・オリヴィエ賞も日本人で初めて受賞しています。

2001年からは松山バレエ団の団長を勤めながら、現在もバレエ歴60年を超えるバレリーナとして活動し続けている、まさに伝説のバレエダンサーです。

外国人バレエダンサー

かつては海外の有名なバレエダンサーに憧れてバレエを始めたという方も多いようです。

今となってはYou Tubeなどで踊りを見るしか方法はありませんが、その踊りはやはり伝説級です。

そんな、世界で活躍した外国人バレエダンサーを紹介します。

マイヤ・プリセツカヤ

20世紀最高と称されるロシアのボリショイ・バレエのバレリーナです。

バレエ学校を最優秀で卒業後は、ボリショイ劇場のソリストとなりました。

その美貌と高度の技巧、芸術性を買われて瞬く間に人気を博し「主役を演じない舞台はない」と言われたほどです。

しかし、舞踊芸術の可能性を追求し、ローラン・プティやモーリス・ベジャールらの振り付けで、「カルメン組曲」や「ボレロ」などの反ソ連的な新作に次々と挑戦を続けたため、旧ソ連当局から24時間身辺を監視され、プリマでありながらなかなか海外公演を許されなかったことも。

彼女の特別な公演は何千回も踊ったという「瀕死の白鳥」で、踊る毎に即興で踊るなど観客を魅了し続けました。

大の親日家でも有名で日本には37回も来日しています。

日本で彼女に憧れてバレエを始めた女性も多いそう。

1994年には国際コンクールを主宰し、舞台だけでなく指導者としても熱心な活動を行なっていました。

シルヴィギエム

100年に一人と称される世界最高のバレリーナです。

12歳の時に体操競技でオリンピック国内予選に通過したものの、パリ・オペラ座バレエ学校で研修を受けたのをきっかけにバレエに転向し、1981年にパリ・オペラ座に入団しました。

1984年、当時の芸術監督だったルドルフ・ヌレエフに見いだされ、19歳の若さで最高位のエトワールに昇進を果たしました。

「白鳥の湖」や「ドン・キホーテ」、「ジゼル」はシルヴィギエムの代名詞となり、スポーツ選手としても世界レベルという身体能力の高さが、男性の支えなしに自分の美的感覚に基づく踊りを追求することを可能にしました。

  1989年には英国のロイヤル・バレエ団に移籍し、モーリス・ベジャールやウィリアム・フォーサイス、マッツ・エックといった著名な振付家と積極的に共演し、コンテンポラリー・ダンスにも取り組んでいます。

 シルヴィギエムもまた、30回以上も来日している親日家で、「洗練された、簡素な日本文化が好き」だそう。

引退公演も日本で行われ話題となりました。

ミハイル・バリシニコフ

名門ワガノワバレエ学校の出身で、在学中にはヴァルナ国際バレエコンクールジュニア部門で第1位を獲得し、卒業後はキーロフ劇場バレエ団に入団しました。

キーロフでは初年度から「眠れる森の美女」の青い鳥といったソロを踊り、身体能力、役柄の解釈、音楽性などあらゆる点で評価されていましたが、1974年カナダ巡演の最中に米国にへ政治亡命をしました。

亡命後はアメリカン・バレエ・シアター(ABT)にプリンシパルとして入団し、モダン・ダンスにも挑戦。

そして、振付と演出にも関わるようになり、バリシニコフ版 「くるみ割り人形」、「ドン・キホーテ」を作り、後に英国ロイヤル・バレエ団でも上演されました。

2022年2月にロシアによるウクライナ侵攻が行われてからは、作家のボリス・アクーニン、オレグ・ラジンスキー、経済学者のセルゲイ・グリエフと共にウクライナ難民を支援するための募金を行っているほか、プーチン大統領からロシア文化を取り戻すため、志を同じくする芸術家・思想家のための活動も行っているようです。

まとめ

数々のバレエダンサーを紹介してきましたが、いかがでしたか?

バレエの技術はもちろんのこと、バレエに対する情熱を感じられる方々ばかりですね。

かつて伝説のダンサーに憧れバレエを始めた方が、現在は自身がプロのバレエダンサーになっていることも。

皆さんも憧れのバレエダンサーを見つけて、プロを目指してみてはいかがでしょうか?

日本では多くのバレエの公演を観ることができます。

憧れのバレエダンサーをみつけてみてくださいね。

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