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K BALLET TOKYOの芸術監督ってどんな人?熊川哲也さんを知ろう!!

有名な男性バレエダンサーといえば熊川哲也さんの名前が浮かぶ人も多いでしょう。

バレエをしていない人でも知っている人が多いほど有名ですよね。

今回は熊川哲也さんがバレエを始めたきっかけや、現役時代の活躍や引退後のご活躍について紹介します!

K BALLET TOKYOや熊川哲也さんについて興味がある方はチェックしてみてくださいね!

熊川哲也さんについて

熊川さんは1972年3月5日生まれ、北海道の旭川市の出身です。

10歳でバレエを始め世界的なバレエダンサーとして活躍しました。

熊川哲也さんがバレエを始めたきっかけや、通っていたバレエ学校、コンクールの受賞歴について紹介していきます。

バレエダンサーを本格的に目指すようになったきっかけ

熊川さんは10歳の時に、北海道にある久富淑子バレエ研究所にてバレエを始めました。

本格的にバレエの世界を志すきっかけとなったのは、14歳の時(1986年)に札幌でバレエの講習会に参加した時です。

その際に、世界的に有名なスイス人のバレエ教師であるハンス・マイスターさんに才能を認められ英国ロイヤル・バレエ学校への入学を勧められました。

その翌年の1987年には英国ロイヤルバレエ学校アッパークラスに留学を果たします。

10歳という少しバレエを始めるには遅いような年齢であったにも関わらず4年でバレエの才能を見出されるまでになるなんて、この時ですでに天才としか言いようがありませんね。

幼少期に通っていたバレエ学校やコンクールの受賞歴について

バレエを始めてから4年で才能を見出され、英国ロイヤルバレエ学校へと留学を果たした熊川さん。

熊川さんの幼少期やバレエ学校、受賞歴について詳しくみていきましょう!

英国ロイヤルバレエ学校時代

熊川哲也さんは前述の通り、才能を見出されバレエ学校の名門である英国ロイヤルバレエ学校に留学しています。

英国ロイヤルバレエ学校への入学方法はビデオテープによる審査でした。

熊川さんが踊る姿をビデオテープで見たバレエ学校から入学を許可されました。

入学当初は15歳であったにも関わらず、技術が高いと評価され17歳から19歳が通うアッパークラスからスタートしました。

英国ロイヤルバレエ学校の授業は毎日午前9時から17時半まであり、科目はクラシックバレエの基礎、パ・ド・ドゥ、民族舞踊、パントマイム、演技、歌などです。

当時の熊川さんは歌の授業をサボったり、派手な格好で通学するなど、先生から「ノーティ(悪ガキ)」と呼ばれ、バレエ以外のことで怒られることが多かったようです。

プロのバレエダンサーとして活躍し完璧なイメージのある熊川さんですが、15歳の頃は少しやんちゃだったようですね。

コンクールの受賞歴

熊川さんは16歳の時に若手ダンサーの登竜門であるローザンヌ国際バレエ・コンクール「ドン・キホーテ」のバジルのヴァリエーションを踊り、日本人で初の金賞を受賞しました。

コンクールの準決勝では拍手と歓声が禁じられていたのですが、熊川さんの演技の後には拍手と歓声が上がったそうです。

また、ニューヨークタイムズ紙が「コンクールのスターは熊川哲也だった」と報じるなど熊川さんの演技がどれ程素晴らしかったかがわかりますね。

現役時代に所属していたバレエ団について

熊川さんは1989年に東洋人として初めて英国ロイヤルバレエ団に入団しました。

実は前述のコンクールの前にロイヤル・バレエ団の芸術監督から「ロイヤルの団員として契約しないか」と、入団の申し出があったそう。

海外のコンクールに出場し、そこで受賞後にバレエ団からオファーがくるのが通常の流れなので熊川さんのすごさがわかるエピソードです。

バレエ団に入団した当時は他のダンサーたちの手前、一番下のアーティストとしての契約でしたが、初舞台を踏んだ後、わずか2週間後にはソロを踊りました。

そして、契約更新の際に芸術監督から「来シーズンはファースト・アーティストに昇格」と伝えられた熊川さんは「ソロを踊っているのだから、ソリストにしてください」と訴えました。

すると芸術監督は「分かった。ソリストにしよう」と納得してくれたそうです。

芸術監督に意見を言えるのもすごいですが、それだけのレベルの高さを証明していたのでしょう。

19歳で英国ロイヤル・バレエ団史上最年少でファースト・ソリストとなり、その2年後には最高位のプリンシパルに昇格。

入団して4年2カ月の異例のスピードでの昇格、日本人としても異例の快挙となりました。

※バレエダンサーの序列・・・最高位のプリンシパル(主役のみを踊る)、ファースト・ソリスト(ソロと主役級の役を踊る)、ソリスト(ソロを踊る)、ファースト・アーティスト、アーティストの順です。

バレエダンサーを引退してからの活躍について

英国ロイヤル・バレエ団を退団する時期について熊川さんは、入団から10年という節目を迎えたときか、歴史が刻まれたロイヤル・オペラハウスが取り壊されるときか、あるいは入団以来、一緒に仕事をしてきた芸術監督が引退するときかと考えていました。

実際には1997年にオペラハウスが改装工事に入り、10年の節目を迎えた年に退団となりました。

当時、日本でゲスト出演をした際に振り付けや衣装の出来が良くないと感じた熊川さんでしたが、時間や予算の関係から聞き入れてもらえませんでした。

そのことをきっかけに、自身でベストだと思える舞台を思い通りに創ってみたいと感じ、バレエ団を退団した翌年に「K バレエカンパニー」(現在のK BALLET TOKYO)を立ち上げました。 

K BALLET TOKYOについて

熊川さんはK BALLET TOKYOの芸術監督、プリンシパルダンサーとしてバレエ団を率いるほか、演出・振付家としても才能を発揮しています。

そんな、K BALLET TOKYOについて詳しく紹介します。

K BALLET TOKYOの歴史

K BALLET TOKYOは1996年に熊川が当時所属していた英国ロイヤル・バレエ団の夏期休暇中に『Made in London』 と称するバレエ公演を日本でおこなったのが始まりです。

シーズン休暇中に当時の同僚10名と共に新作と古典の小品を交えた舞台を上演しました。

この演目は1998年まで毎夏続けられました。

そして、1998年の9月に熊川がロイヤル・バレエ団からの退団を発表した後に、同じく熊川さんの同僚であった前述の5名の男性舞踊手も一緒に退団しました。

翌年の1999年1月、熊川が旗振り役となり、6人を基幹とする新たなバレエ団「Kバレエ カンパニー」の結成が発表されたのです。

K BALLET TOKYOのダンサー

K BALLET TOKYOは英国ロイヤルバレエ団と同様にプリンシパル、ファースト・ソリスト、ソリスト、ファースト・アーティスト、アーティストとダンサーに階級があります。

2024年時点でプリンシパルは浅川紫織さん、飯島望未さん、日高世菜さん、石橋奨也さん、堀内 將平さん、山本雅也さんの6人です。他にも個性豊かでレベルの高いメンバーが揃っています。

K BALLET TOKYOの上演演目

K BALLET TOKYOでは熊川さんが全幕古典作品の演出・再振付や、台本から手がけた完全オリジナル全幕作品『クレオパトラ』や『蝶々夫人』『カルミナ・ブラーナ』などの新作を数多く上演し話題となっています。

2024年に上演された演目は下記の通りです。

2024年シーズン
『ジゼル』
日程:2024年3月16日(土)・17日(日)・20日(水・祝)・23日(土)・24日(日)
場所:Bunkamuraオーチャードホール

『シンデレラの家』

日程:2024年4月27日(土)~4月29日(月)
場所:東京芸術劇場

『カルミナ・ブラーナ』
日程:2024年5月24日(金)~5月26日(日)
場所:unkamuraオーチャードホール

『ラ・バヤデール』
東京
日程:2024年6月1日(土)・6月2日(日)・6月8日(土)・6月9日(日)
場所:Bunkamuraオーチャードホール
大阪
日程:2024年6月12日(水)
場所:フェニーチェ堺 大ホール

公式HP:K-BALLET

まとめ

経歴を見ているだけでも後にも先にも熊川さんのようなバレエダンサーは現れないかもしれないと感じてしまうほどすごいですよね。

現在は自身が踊ることは少なくなっているようですが、熊川さんがプロデュースした舞台を観ることができます。

気になる方はK BALLET TOKYOの舞台を観に行ってみてくださいね。

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